洪水復興 5

ひどい渋滞でした.jpg先週の金曜日、久しぶりに夜外に出かけてきたのですが、バンコクの道路は激しい渋滞でした。月末と重なったこともあるのでしょうが、洪水はもう来ないと信じた人たちが一斉に街に繰り出してきた感じ。つい2週間前は、どこからタクシーに乗っても目的地まですいすいだったのが、シーロムからスクンビットまで1時間は軽く掛かる、かつてのバンコクに戻っていました。

がやがやわいわい、眠らない街バンコクが再び息を吹き返した感じが、バンコクが好きでタイにやってきた私にはとても嬉しかった。都心部にいると「あ、もう洪水は過ぎ去ったのだ」と感じますが、帰り道自宅のある郊外に向かう幹線道路を走っていると、両サイドの小道にはまだまだ水が漂い、水面に街灯の明かりが映し出されていました。

道路を入ってソイを入ってさらに奥地.jpg私が住む東の郊外には、イスラム系の家族が住んでいるのエリアがありますが、彼らの家の多くは幹線道路の中の小道からさらに湿地帯に入った用水路脇に建てられています。新興住宅やコンドミニアムとは違う高床式の家で、タイのかつてからの生活様式を水辺で営んでおり、炊事や水浴びを用水路でしています。水と隣接しているわけですから、今回の洪水が多大な影響を与えたことは明確です。大きな道路の水は引いても、小さい道にはまだまだ水が停滞しており、庭の敷地一面がまだ冠水状態だったり、小道から家に続く部分に板で即席の橋を作っている家が目につきます。

バンコク都心部では、水の気配も置き土産もなくいつまでもネオンが光っている一方で、太陽の満ち欠けとともに生活している郊外では、まだまだ水が溢れています。貧富の差で、洪水から受ける影響にも差が出ている。都心から郊外に戻るたびに、心にずしりとのしかかる現状です。

毎日jpより

タイの大洪水は都心への浸水が回避され、人口約700万人のバンコクのビジネス街や商業施設には活気が戻り始め、政府は水没した工業団地の支援に着手した。しかし、洪水被害をもろに受けた河川沿いや低地には、首都人口の5分の1といわれるスラム街が広がり、復旧事業から事実上、取り残されている。スラムの支援を続け、アジアのノーベル賞とされる「マグサイサイ賞」の78年受賞者、プラティープ・ウンソンタム・秦さん(59)は、「洪水で仕事を失った人の多くは貧困層」と指摘し、洪水対策は貧困対策だと強調した。【バンコクで鵜塚健】

川沿いの家.jpg都心から5キロ北西。チャオプラヤ川沿いには、トタン屋根をのせただけの粗末な家が並ぶ。「これじゃあ、以前の生活に逆戻りね」。主婦のマイさん(23)は、1歳の長男グアン君をあやしながら、大量の洗濯物をたらいで洗っていた。

 50年に1度とされる大洪水。10月下旬、マイさんの自宅にも水が一気に流れ込み、3日間、1メートル近く冠水した。けがはなかったが、洗濯機とテレビが故障して使えなくなった。

 妹や夫の家族と計11人暮らしで、夫の仕事はバイクでの書類配達で月給7000バーツ(約1万7500円)。約20平方メートルの自宅の家賃は2000バーツ。洪水後、水や食糧の値段が上がり、家賃の値上げも心配だ。政府は浸水世帯に5000バーツを給付すると発表したが、「洗濯機も買えない」。

 こうした状況に、プラティープさんは「今回の洪水では、富裕層も貧困層も広く被害を受けたが、生活の立て直しが難しいのは貧困層。仕事を解雇された人も多い」と語った。そのうえで「政府は、工業団地の支援などに懸命だが、深刻なバンコクの貧富の差をこれ以上拡大させないためにも、弱者により手厚く支援することが重要だ」と訴えた。

かたや夜景バー.jpg川沿いのスラムでの取材翌日の夜、都心部にある高級ホテルの最上階(56階、地上約300メートル)を訪ねると、バンコクの経済成長を象徴するビル群が周りを囲み、タイ人の若者の笑い声であふれていた。仲間の誕生会で来た大企業の社員や学生ら10人組は、1杯約400バーツ(1000円)のワインを次々に注文していた。首都の法定最低賃金(1日)約200バーツの2倍で、スラムに住む女性の内職の日給の8倍だった。

 大学生ジェンさん(23)の自宅は高層マンションで被害を免れた。「卒業後は大手企業に就職する。これくらいの出費はたいしたことない」と話し、「バンコクはこれからも発展し続けるよ」と目を輝かせた。

バンコクの貧富の差、これは強烈に目に見えるものです。東京では見えなかったあからさまな貧富の差。自分の日給よりも高い料理を給仕するボーイ、自分の月給よりも高い靴を包む店員、そこには貧富の差に対する希望があるのか、絶望があるのか。あまりにも目の当たりにする貧富の差ですが、洪水にも貧富の差がある。これが現状です。